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花のゆくえ ⑪かぐわしい花   

一年は瞬く間に過ぎていった。ミアルダイは11年生になった。今年は高校卒業試験を控えている。彼女はいつも不安につきまとわれていた。生活のすべてが年老いた養母ポリーの上にかかっていることや、学年末の試験のことや、そして人々の代わりに命をかけて敵の銃弾を遮っているボライの安否が気がかりだった。彼女は熱心に勉強した。そしてわずかな時間を割いては、ノム・ボンチョック売りを手伝った。ミアルダイはクラスでもずば抜けて優秀だった。だが表情はいつもふさいでいた。クラスメイトが遊びや集まりに誘ってもすべて断った。



ミアルダイはボライに思いを馳せていた。もう6ヶ月以上も音沙汰がない。前線に行ってから初めの6ヶ月間に2度手紙を送ってきただけだった。一方ソティーはボライの消息を書いた手紙を頻繁に送ってきた。彼女はなぜボライが手紙を書いてこないのか不思議だった。あるいは忙しすぎて時間がないのだろうか?ではなぜソティーには時間があるのだろう?

彼女はボライの手紙を大切にしまっていた。彼のことが恋しくなると、その手紙を取り出して読み、寂しさを紛らわした。その時に託された言葉はいつも彼女を慰めた。

そんなミアルダイをポリーは不憫に思っていた。ミアルダイは息子にしてしまった過ちを後悔している。また、ボライに思いを寄せ始めている。それは彼の我慢強さ、慈悲深さが、ミアルダイの生意気で高慢な性格に打ち勝ったからだった。



振り子時計が10時を打った。ミアルダイの部屋からランプの光がちらちらと洩れている。ポリーはため息をつき、ミアルダイの部屋に行こうとした。彼女は歌を歌っていた。ポリーは胸が締め付けられる思いだった。

♪寝転んでみる空のなんて高くて遠いこと 胸のわだかまる悔は よるべのない私の寂しさは 転々として心をめぐり懸命に生きるこの人生

♪提げても背負っても重い過ち 昔したことが胸を裂く 貧しいあなたを蔑んだ私 なんて間違いをしたのでしょう

♪ああ、あなたにお詫びします どうか愛しいあなた 私をもう一度許して いまでは天涯孤独の娘 それは酷いポル・ポトが父を亡き者にしたから

♪人生の空は広くて大きいが 見通しはまだおぼろげ 運命を決めた黒い心の裏切り者たち 希望であるあなたから返事はない

ポリーは頭を振って、彼女の部屋に入り、彼女の背中を優しく撫でながら言った。

「また悩んでいるんだね。お母さんが助けてあげるって約束するよ。ボライが帰ってきたら、おまえのことをはっきりさせるから」

「いいえ、お母さん。辛抱強いボライさんのおかげで、自分でも気がつかないうちにボライさんに夢中になってしまっている。私の意地っ張りな性格はボライさんの優しい慈悲深さで良くなりました。でも私は絶対に押し付けの愛情なんて欲しくないんです。お母さん、一生のお願いですから、そんなことしないで下さい。ボライさんがチャンナーさんを見つけようが、あるいは誰か他の女性を選ぼうが、私は勉強の道だけを生きていくと決心したんです。私の恋は終わりました」

「おまえの決心は自分を虐めているようなもんだよ。もう寝なさい」

「今夜はなんだかボライさんのことがいつもより恋しく想われて。お母さん、今頃ボライさんは一体何をしているんでしょう?私たちのように休んでいるんでしょうか。それとも敵と戦っているのでしょうか」

「お母さんの気持ちもおまえと変わらないよ。あの子のことが恋しくて仕方がない。だけどその気持ちをおまえには聞かせたくなくてね。おまえが悩んだらいけないと想って。その手紙は?」

「半年前に受け取ったボライさんからの手紙です。恋しくなると、読むんです。目の前に彼がいるような気がしてくるので」

「ああ、もう寝なさい」

「お母さんことお休みください。私も寝ますから」

「ああ、お休み」

ポリーは優しくミアルダイの頭を撫でると、出て行った。

愛する妹のミアルダイへ

 ミアルダイ、僕は本当に遠くに来てしまった。でも心はとても落ち着いている。それは以前とちがってミアルダイ(くちなし)の花が、芳しい匂いを放っているからだ。1月7日の露がかかって、萎れていた花びらが開き、新しい革命の花園にその香りを振りまいているからね。

 どうしてこのように結論づけることができるかって?きみは優秀な学生で、つまらぬことはしないし、300万人ものカンボジア人の血の恨みも忘れはしない。母さんのよき娘であるし、何よりもわが軍隊の兵士たちの真の妹であるわけだし、まだまだ数え切れないぐらい素晴らしい美点がある。

 僕たちの競争の約束だけど、たぶん僕の負けなんじゃないかと思う。たとえ僕たちが次々と勝利をおさめても、敵がいる限り戦わねばならない。敵は僕たちの軍隊に遭遇するために戦意を失い、武器を捨てている。いずれにせよ、僕は今より二倍も三倍もがんばってさらなる勝利をもたらしたい。僕たちの約束を果たすためにね。ところできみは?これまでの素晴らしい出来映えに満足しないように。革命が前進するには障害がつきものだということを忘れないで。新しい革命の道は平坦ではない。敵は僕たちを幸せにはしておかない。あらゆる形で、あらゆるやり方で奴らは僕たちを破壊しようとしている。だから人民は力を合わせ、新しい革命の指導のもとに敵を打倒していかなければならない。ひとりの人民としてのきみが必要なんだよ。

 ミアルダイ、僕の言葉を忘れないで。きみという花はいつも芳しくなければならない。壁のない牢獄、涙の海、生きながらの地獄からきみを解放してくれた祖国にとっても。

タイ国境前線にて ボライより



翌日、ひょっこりソティーが姿を現した。軍の全国大会に参加するためやって来たと言う。ボライは元気で、副指揮官にまでなったと聞かされた。ボライの名前が出てくると、暗い気持ちになるミアルダイ。彼が恋しくて、可哀想だった。人民に代わって崇高な任務を果たしている愛しい男。敵の抑圧と苦しみから人民を救うためなら、自ら困難に向かっていく男。

ソティーはミアルダイをじっと見つめ続けていた。ミアルダイとボライの真の関係を知ってから、ひそかに彼女に恋心を抱いていたのだ。彼はボライの気持ちを何度も確かめた。ボライはミアルダイに妹という以上の感情は持っていないらしかった。彼は残虐時代に別れてしまった恋人チャンナーに誠実であり、彼女の消息を待っている。ボライがあまりにミラルダイに手紙を書いていないことも知っていた。ボライは自分が元気であることをソティーがミアルダイに手紙を書くたびに伝えさせた。そんなボライの様子を見ていると、自分の気持ちを告白したくなった。しかし決心はつかなかった。拒まれるのが怖かった。そんなことをされたら二度と顔を合わせられなくなってしまう。彼女は意思が強固で他の女性とは違う。たとえソティーがやっとの思いで打ち明けたとしても、素知らぬ顔で、まったく違う話に摩り替えてしまうかも知れない。あるいは話が通じないかも知れない。

結局ソティーは告白できずに、自分でも気持ちの整理がつかないまま、前線に戻って行った。

by kokeko-13 | 2012-06-11 14:36 | カンボジア文学

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